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長野県野球協会は長野県内のさまざまな野球団体を統括する組織です

長野県長野市篠ノ井東福寺上組北320
長野市南長野運動公園内

長野県野球協会とはconcept

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会長のごあいさつ

長野県野球協会
会長 赤 尾 正 雄

 明治5年(1872年)の米国からわが国への野球伝来から150周年の昨年4月に設立した「長野県野球協会」は、多くの皆様のご協力とお力添えのおかげで2年目を迎えました。過去に横の連携が希薄といわれた野球界にあって、県内の15野球団体がプロとアマ、硬式と軟式、男女の垣根を越え、一丸となって野球の普及・振興に力を尽くす統括組織として活動を広げています。
 この1年間、青少年野球育成特別、指導者、医科学、技術、女子野球、審判・記録、プロ・アマ連携、財務・就職支援、広報の9つの専門委員会の活発な活動が続きました。加えて、協会活動の大きな推進役である各地区野球協会が中心となって「野球普及イベント」 を県内10地区で開催し、参加者、スタッフ合わせて6400人もの参加を得ました。私も数か所の会場に顔を出しましたが、幼稚園児・保育園児や小学生、さらに、ご家族が、ボールを投げたり 打ったりして、笑顔に満ちた楽しい時間をすごしていました。野球人口の維持・増大に向けた貴重な取り組みであり、関係の方々には感謝を申し上げます。
 振り返りますと、平成26年(2014年)に長野県体育協会(現長野県スポーツ協会)の声掛けで県内の野球団体が初めて一堂に会し、平成28年(2016年)に長野県青少年野球協議会設立。そして、令和2年(2020年)11月に長野県野球協会の設立に向けた準備委員会を立ち上げ、信州野球界のさらなる発展をめざした結果、全国でも先進的な野球協会を設立することができました。
 協会設立の目的は「次代を担う青少年世代の支援と、野球人口増加への取り組みを推進する」という点にあります。今年度は、中学校の部活動の在り方が大きく変わりました。週末の活動の地域への移行です。これからは、各地区野球協会に所属する社会人野球、軟式野球、早起き野球など野球関係者の力がいっそう必要になります。本協会も積極的に対応していきます。
 また、今後の活動推進のためにはどうしても「活動資金」が必要となります。すでに多くの協賛企業・団体、個人の皆様からご協力を頂戴しておりますが、子どもたちのための新たな野球の創造につながる本協会の活動にご理解いただき、さらに多くの皆様のお力添えを賜りたく存じます。
 今年3月はワールド・ベースボール・クラシック(WBC)での日本代表の優勝で盛り上がりました。14年前に日本が2度目の優勝をした際、テレビ観戦で感激した野球少年の1人が、中野市の小学5年生だった牧秀悟選手(横浜DeNA)です。今回、ホームラン2本を放つなどで活躍し、大きな希望と勇気を届けてくれました。3月には本協会主催の「長野県知事杯争奪プロ・アマドリームトーナメント」も第2回大会を開きました。子どもたちの「野球をやりたい」という声の高まりをうれしく思います。やがて、「野球をやって良かった」と感じてもらえ、保護者の方がたにも「子どもに野球をやらせて良かった」と受け止めてもらえるような野球界を皆様と一緒に作ってまいります。モットーは、「心をひとつに。前へ、前へ」です。


準備委員会の役目を終えて


協会概要

団体名
長野県野球協会
代表者
赤尾 正雄
事務局所在地
〒388-8002
長野県長野市篠ノ井東福寺上組北320
 長野市南長野運動公園内
→アクセス
設立
令和4年(2022年)4月1日
加盟団体数
15団体 令和5年(2023年4月1日)

なぜ、長野県野球協会を設立したのか

「長野県野球協会」を昨春に設立して2年目に入りました。野球というスポーツが信州にもしっかり根を下ろしている21世紀の今になって、なぜ、長野県野球協会なのか。なぜ、今まで、他のスポーツでは一般的な統括組織が野球界にはなかったのか。不思議に感じておられる方は少なくないと思います。歴史的な経緯も踏まえて、私どもの考えをご説明いたします。

■わが国最大の人気スポーツだった野球
発祥地の米国から日本に野球が入ってきたのは明治5年(1872年)のことでした。武道や相撲が身体運動の中心だったわが国にあって、この魅力的な新しい球技は最初に学生野球として、次いで社会人野球や当初は職業野球と呼ばれていたプロ野球など、戦前・戦後を通じて飛躍的に発展します。スター選手にあこがれて白球を追う子どもたちの姿が全国各地にあふれ、野球は自他ともに認める国内最大の人気スポーツに成長しました。
ただ、それぞれの野球界が独自の方針で活動を進めたため、横の連携が希薄なまま各団体の林立が固定化し、アマチュア野球とプロ野球との深刻な対立も長く続きました。

■スポーツの多様化・少子化と野球離れ
そうこうするうちに、1990年代に到来したサッカーブーム、さらに21世紀に入って加速したスポーツの多様化と少子化に野球は直面します。「観る野球」はともかく、「する野球」は時代に取り残される傾向が見え始め、2010年代には競技人口の減少が際立つようになりました。中でも子どもたちの野球離れは急激でした。
危機感を募らせた野球人たちによる恩讐を越えた結束の動きが国内各地で芽生え、信州野球界では平成28年(2016年)に全国でも先進的な全県組織「長野県青少年野球協議会」を設立。小中高校生の世代を対象にした硬式・軟式野球の諸団体が手を携え、底辺拡大と振興策の促進や指導者研修など課題の解決をめざして動き始めました。当時、プロ・アマ間の溝は埋めきれなかったため、統括の組織化は先送りにした経緯があります。

■野球再生に向けた機運の盛り上がり
その後、競技人口の増加策を基軸とした野球再生には関係者が一丸となって対処すべきだ、という機運が盛り上がります。そのためにプロ・アマ交流の緩和が加速したことが一つの契機となり、女子野球を含む小中高校生世代に加えて社会人や大学、独立リーグ、シニア層の野球なども含めた信州野球人の結集をめざす準備を令和2年(2020年)11月から重ねました。そして、長野県青少年野球協議会を発展的に継承して15団体が加盟する初の全県統括組織「長野県野球協会」を設立する運びとなり、令和4年(2022年)1月に報道18社の出席を得て長野県庁で開いた記者会見で設立目的や加盟予定団体、活動計画の概要を発表。協会設立記念の「第1回長野県知事杯争奪プロ・アマドリームトーナメント」を3月19、20日に長野オリンピックスタジアムで開催したのに続き、4月1日付で協会を設立しました。米国からの野球伝来150年という記念すべき年の出来事となりました。
初年度は9つの専門委員会がそれぞれの立場で活動の充実を図ったのをはじめ、相次いで設立された県内の各地区野球協会が工夫を凝らした野球普及イベントを全県で展開し、野球の楽しさを子どもたちに伝えていく活動に手応えをつかむことができました。
6月には、これも協会設立記念で企画した第1回高校生対大学生交流試合を開催。協会の年度は3月から翌年2月までとしているため、今年3月25、26日には今年度事業としてドリームトーナメントの第2回大会を実施いたしました。

■めざすは「子どもたちに選んでもらえる野球」
一連の取り組みは、いわば「ピンチはチャンス」と捉えた新たなチャレンジです。放っておいても野球の好きな数多くの子どもたちが白球とバットを握ってくれた往年の面影は既にありません。私たちは、人気スポーツという栄光にあぐらをかいて普及・振興活動に手をこまねいた「過去の野球界」とは決別いたします。そして、今年3月のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)における日本代表の優勝という追い風も得て、子どもたちに「野球を選んでよかった」と言ってもらえる環境づくりのために、歩み続けてまいります。私たち長野県野球協会のモットーは「野球の未来へ 心をひとつに。前へ、前へ」です。

PV長野県野球協会プロモーションビデオ


info団体情報

長野県野球協会

〒388-8002
長野県長野市篠ノ井東福寺上組北320
長野市南長野運動公園内